
どーも、ユモーキーです。
今回は一見社会人向けに見えますが、学生さんでも部活だったり後輩に勉強を教えるだったり、色んなパターンに使える考え方になっているので、とにかく全員読んでね(‘Д’)キリッ
この記事を読んでくれている人みんな、違った様々な立場があると思います。
学生も社会人も、教える側だったり教わる側だったり。今回はもちろん教える側に対しての考え方にはなりますが、今は教わる側の人もその内教える側へと変わっていきますので、その時に間違わないように今の内に正しい指導の考え方を学んで頂ければ(え?指導のプロなの?何目線?)と思いますので、教える側の人も教わる側の人も、何かヒントを掴んで明日からの役に立ててもらえたら、≪うれピーマン≫です(‘Д’)キリッ
指導方法の傾向【過去】
指導方法の傾向は、過去と現在でかなり変わっていると思います。
まあセクハラとかパワハラとかモラハラとか豚バラとか裏原系とか(後半の二つなんなん?www)、その辺りの考え方も時代と共に変わってきましたので、それに伴って指導方法の傾向も変わっていくのは仕方がないですよね。
では、過去はどんな感じでしたでしょうか。
- 教える側が絶対的に偉い。
- この教えに従いなさい。
- 教える側に意見するのは100年早い。
- とにかく教えた事をやりなさい。
- 教える相手が何人でも男でも女でも年齢がいくつでも、全員この方法でやりなさい。
- 自分が経験してきた事をベースに教える。
まあいわゆる昭和ですよね。
小学校の先生なんて普通に悪さした小学生の頭はたいてましたし、電車で騒いでる子供が居たら知らないおじさんが騒いでる子供の頭をはたいて注意して、親がその人に謝る(ウチの子が迷惑かけてすいません)なんて事も結構普通な時代でしたね。
そういう時代なので、教える側と教わる側の立場はハッキリしていたので、教える側は楽だったかもしれないですね、教わる側ちゃんと言う事聞きますからね。
≪指導方法の性質≫は、指導者次第という事です。
指導方法の傾向【現在】
では現在はと言いますと、だいぶ複雑な感じになりましたよね過去と比べますと。
- 教える側が偉そうにしてると教わる側のモチベが下がる。
- ちゃんと納得進行を心がけないと覚えてくれない。
- 教わる側の意見も尊重する。
- 教えた通りにはやらない。
- 教える相手の性別や年齢などを考慮して教え方を変える。
- 自分の経験は時代が違うのであまり参考にならない。
どうですか、かなり昭和とは違いますよね。
一番はやはり、【教える側が絶対的に偉い】という部分が崩れた事が大きいと思います。
学校の先生なんてそれが顕著ですよね、もはや偉いどころか生徒の方が立場が上のようにすらなっています。
もちろん全ての学校全ての先生と生徒がそうなっている訳ではないですけどね。
高圧的だとパワハラ、全員が完全に平等になっていないと差別だひいきだと、責められたりもします。
生徒なら成績、社会人なら仕事力が上がらないと昔は自分のせいだったのが今は教える側のせいと捉えられてしまう場合もありますね。
なので、一つのやり方を強制的に叩き込む昔のやり方と比べると、人のメンタルを気にしたり相手によって言い方や方法を変えたりと、指導方法がかなり複雑化したと言えますね。
こういった流れもあり、最近ではあまり熱心に指導せず、【自主性】が大事だなんていう言葉を良く聞くようになりました。
アイツは【自主性】があっていいね、アイツは【自主性】がなくてダメだ言われた事しか出来ない、とか良く聞きますよね。
≪指導方法の性質≫は、教わる側次第という事です。
教える側と教わる側の関係
確かに色々複雑になりましたので、教える側と教わる側どっちが偉くてどっちが下なんだみたいに混乱している人も居ると思います。
ですがここで考えて欲しいのが、なんやかんや言っても教える側というのは、教わる側よりも経験や知識を持っているから教える事が出来る訳なので、やはり大人になるべきは持っている【教える側】の方であるべきなんですね。
表に偉さを出して高圧的にするという意味ではなくて、教える側の自分が上(大人)なんだという自覚を持つ事が大事という事なんです。
簡単に言えば、教える側【出来る人】と教わる側【未熟な人】という感じですね。
表には出さずとも、特に教える側の人は心の中にこの事はしっかりと留めておく事が大事なんだと思います。
良い指導にする考え方
では良い指導とは、どのように考えたらいいでしょうか。
先ほどの教える側【出来る人】と教わる側【未熟な人】を前提として考えるならばユモーキー的には一択です。
≪部下や後輩が成長出来るかどうかは教える側(上司、先生、先輩)次第≫、という考え方です。
最近の傾向である【自主性】が大事という考え方だと、部下や後輩が成長出来るかどうかはその部下や後輩自身次第、という事になります。
それだと教える側(上司、先生、先輩)の力ではないので、人が育つかどうかが相手次第のギャンブルになってしまいます。
そうではなく、〇〇さんはさすがですよね~、〇〇さんの下に付いた人はみんなすごく成長してますもんね~、〇〇さんはスゴイ!の方が良くないですか?
それなら人が育つかどうかは教える側次第で相手は関係ないので、ギャンブルではなくなりますよね。
これこそが【良い指導にする考え方】であると、思わずにはいられません(‘Д’)キリッ
まとめ
はい、ではまとめます。
今回の記事のタイトルでもある、【自主性】は言い訳です!という事ですが、なぜ最近になって自主性自主性と言うようになったかと言いますと、時代が変わり熱血指導が難しくなった為、教える側のリスク回避の意味もあり自主性という言葉で逃げているというのが一番の理由なんですね。
ですがそれでは下は育ちにくく、そもそも育つかどうかは相手次第のギャンブル状態となってしまい育成がうまくいかず悩む【教える側】が増えている現状になっています。
なので【教える側】は、今の時代確かに色んな事に気を配らなくてはいけないので大変ではありますが、それでも今の時代に合わせつつもその範囲でしっかり【教わる側】と向き合い、相手が育つかどうかは【教える側】次第という正しい形に戻す努力が必要なんだと、思わざるを得ません!(‘Д’)キリッ
実は今回の記事は、自分に言い聞かせている部分も大きいんです。
ここだけの話ですけどねっ(〃▽〃)



ホウホウ、て事はユモーキー自身も出来ていないという事なんだな。説得力なwww
コメント